09.03.2022
ウクライナ人とロシア人では勝利の意味が違う
今日からウクライナ人とロシア人の違いについて書いていこうと思う。
ウクライナ人とロシア人の心性の違いを説明する時によく使われるのが「勝利」という言葉。
最初にこれを教えてくれたのが、ラドコヴェツ兄弟のイヴァンだった。
ラドコヴェツ兄弟はペトロー・ラドコヴェツとイヴァン・ラドコヴェツという、日本風にいうとアラフィフの兄弟。
Батяр(バチャールまたはバーチャル)というリヴィウのサブカルチャーを模した扮装で街を案内するリヴィウの名物ガイドだ。
そのラドコヴェツ兄弟の弟のほう、イヴァンにガイドを頼んだことがある。
もう10年以上前のことだ。
急にシンポジウムに出ることになったものの、話のネタがなかったから、地方史を紹介することにしたのだ。
ラドコヴェツ兄弟はガイドといってもただのツアーガイドではない。
二人とも地方史の専門家で、イヴァンは大学図書館で司書としても働く歩く地方誌みたいな人だ。
それでとりあえず、イヴァンにレクチャーがてらガイドをお願いすることにした。
ロシア語のпобеда
その時、イヴァンが話してくれたのが、ロシア人とウクライナ人の「勝利」の意味だ。
ロシア語で勝利を意味する言葉は「победа」、動詞は「побеждать(不完)/победить(完)」となる。
そして、勝利者のことは「победитель」という。
これらの言葉のなかにある「 беда」は厄介とか災難、そして不幸や哀しみのこと。
つまり、とにかく、欲しくないもののことを言う。
そのбедаを相手に与えることが、ロシア人にとっての勝利なのだ。
ロシア人にとっての勝利
「敵と戦って、敵に敗北を与える、それがロシア人にとっての勝利、勝ち方だ」とイヴァンは言った。
したがって、ロシア語で勝者を表す「победитель」というのは「相手を負かした者」ということになる。
つまり、ロシア人にとって勝利とは常に相手あってのもの、相手を負かすよりほかに勝ち方はないのだ。
ウクライナ語のперемога
一方、ウクライナ語で勝利を意味するのは「перемога」、動詞が「перемагати/перемогти」となる。
二人称の複数で「We will win!」をウクライナ語にすると「Переможемо!」となる。
ウクライナを主語にして「Ukraine will win!」だと「Україна переможе!」だ。
だから今ウクライナのどこにいても、このどちらかを耳にする。
ウクライナ人にとっての勝利
ウクライナ語で勝利を意味する「перемога」はロシア語の「победа」のような語形成ではない。
「пере-мога」の「пере」は動詞や名詞の前について、「超えること」や「超越」を意味する。
「мога」の語意は力や可能性、出来ること。
「僕たちは勝つ!っていうときに、Переможемо!って言うだろ。Пере-можемоっていうのはさ、自分たちが出来ること、それをさらに超えることなんだよ」とイヴァンは言った。
実際、いまウクライナ人が「Україна переможе!ウクライナは勝つ!」「Ми переможемо!私達は勝つ!」と言うとき、ロシアについてはあまり言わない。
相手はどうでも良い、自分たちに出来ることを超える、それがウクライナ人の勝利であり、ヒロイズムだ。
そして今、そのヒロイズムは最高潮に達している。
すれ違うロシアとウクライナの「勝利」
プーチン大統領はウクライナにБедаを与えようと躍起になっている。
ロシア人である彼は戦いの相手にБедаを与えなければ、勝利者Победительになれない。
勝利者になれなければ、終われない。
一方のウクライナ人たちはロシアの侵略を受けながらも、Пере-можемо! Пере-можемо!と意気軒昂だ。
勝利に求めるものが違う両者の間に対話の成立する可能性があるのだろうか。
「勿論、ロシア語の辞書にも、勝利とは自分の可能性を凌駕することなんて書いてあるけどさ、ロシア人はそんなこと気にしないんだよ。ただ、相手を負かしたいんだ。分かりやすいからね」
ラドコヴェツ兄弟のガイドはユーモアに富んで、かつシニカル。
平時なら、ぜひ一度お立ち寄りくださいと言うところだが、今はそんな状況ではない。
昨日はTikTokにリヴィウ駅に向かう長蛇の列が流れていた。
今日は我が家の周辺でもリヴィウを脱出する車が渋滞していた。
明日はどうなるのだろう。