ウクライナ通信

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悪夢の日々

27.02.2022

「悪夢」

2日ぶりに、早朝のサイレンがなかった。

8時頃に起きてお風呂に入り、さっぱりする。

久しぶりの朝風呂だった。

お風呂から出て窓の外をみると、リュックを背負った男の子たちが道に立って、パンを頬張っている。

2日続けて早朝に警報サイレンが鳴ったので、一晩シェルターで過ごしたのだろう。

控えめなサイレン

私の住む地域は新建築で、子供のいる若い夫婦やITワーカーが多い。

外国人も多く住んでいる。

隣家はその典型で、幼稚園くらいの子供がいるアルメニア系のITエンジニア一家だ。

うちも普段は結構人が来るし、猫たちがドスドス走り回ってにぎやかなのだが、お隣さんも、週日は部屋のリフォーム、週末はお客さんが来て飲んだり歌ったり踊ったりしている。

こういう環境なので、私は普段から物音を気にしないで暮らしているのだが、そのせいでサイレンを何度か聞き逃してしまった。

サイレンの「ウ~ウウ~」という音と、リフォームに使う電子ノコギリの「ウィ~ン」という音はちょっと似ているのだ。

爆撃がなかったから良かったようなものの、肝心の時に聞き逃したら洒落にならないので、サイレン系の音には耳をすますようになった。

しかしそうなると今度は逆に、何もないときでもサイレンが鳴っているような気がしてくる。

昨日は夢の中でもサイレンが鳴っていて、右往左往している間に目が覚めた。

 

既に何度も爆撃を経験しているキエフやハルキウの同僚たちはチャットに「кошмар」「кошмар」とつぶやいている。

「кошмар」は悪夢。

そこらへんじゅうпиздецだらけ。кошмар」といった感じ。

пиздецは英語のF*ck、кошмарはTerribleのような使い方をする。

見たくないものが目の前にあふれている。

ハルキウХарків

昨日(26日)の午後から、ハルキウに住むプロジェクトリーダーのトニーと連絡がつかない。

お昼にはいつものように、お互いの安否を確認したのだが、それっきり、半日オンラインに現れなかった。

朝チェックすると、昨日の夜にはオンラインに入っていたらしいが、その後また姿が消えた。

普通のときなら半日くらい連絡が取れなくても気にしないが、ハルキウは最もひどい打撃を受けている都市の一つ。

トニーがオンラインになってるかなとTelegramをチェックしているその間にも、爆撃を受けた建物の画像や映像が次から次へと入ってくる。

頑固なリーダー

トニーには22日(火曜日)のウェブミーティングで、「こっち(リヴィウ)に来ない?」と声をかけていた。

西に来るように誘ったのはそれが初めてではなく、2週間ほど前にも、「しばらくこっちのオフィスに来る気はない?」と訊いた。

その時は、「考えてない。両親がいるし、子供の学校があるから簡単じゃないんだよ」と言っていた。

トニーはリヴィウが好きで、普段は頼まなくてもやってくるのに、こういうときには腰が重い。

頑固なのだ。

22日には言い方を変えて、「土地を後にするのが嫌なのは私もよく分かるけど、そういうのじゃなくてね。今こんな状況だし、2,3ヶ月くらい、奥さんや子供やご両親も連れてこっちに来たらどうかなぁ、って。そのほうが私も仕事がしやすくて助かるのね。こういう状況じゃ、お互いにキエフには自由に行けないし、今のうちにこっちに来ることを真面目に考えて」と頼んだ。

ついに侵攻

20日にアメリカや日本などが自国の外交官にウクライナからの退避勧告を出し、大使館業務を縮小して西に移動し始めていたが、22日の時点ではまだプーチン大統領は動いていなかった。

22日はギリギリ動ける日だったのだ。

だけど、トニーは首を振った。

両親が動くのを嫌がっている、置いていけない、と言って。

その翌日の23日、プーチンがドネツィク・ルハンシク両州を国家認定して、軍を動かした。

24日、会社からは前日のCEOからの全体メールに続いて、今度は各支社長がSlackで連絡が入り、とりあえず、今週いっぱい事務所を閉鎖すること、オフィスには生活必需品の備蓄があるので必要なら取りに来て良いこと、キエフのオフィスビルの一つはシェルターとしても使えることなどが数度にわたって伝えられた。

 

24日はハルキウのあちこちで爆撃があって、トニーは自宅の近くでも銃撃があったとチャットで話していた。

全体チャットでは話さなかったが、グループチャットでは、国外に出たり、西部や郊外に移ったりする予定だと話し合っていた。

それでもトニーは動かなかったらしい。

25日になると、既にキエフもハルキウも通常の会社業務が出来る状態ではなかった。

リヴィウでも朝からサイレンが鳴った。

私のところには日本大使館リヴィウ事務所の笠谷さんの他に、ポーランドに退避した日本人館員からも電話がはいった。

「行かない」から「行けない」へ

キエフのスタッフもハルキウのスタッフも仕事が出来る状態ではなかったので、とりあえず、先取り出来るだけタスクを片付け、昼過ぎにやっとTelegramの個人チャットでトニーをつかまえた。

リヴィウオフィスの全体チャットのお知らせを添付して、「もう一度言うけど、こっちに来ない?ここまでくれば、会社も私も一時滞在するなり、国外退避するなり、援助するから」と訊いた。

トニーからの返事は、「行かない」ではなく、「行けない」という答に変わっていた。

「行きたくても、行けないんだよ。まず、ガソリンがない。現金がない。そこらじゅうで銃撃がある。動くに動けない」

「だから、22日に来れば良かったのに!」

顔を合わせてのミーティングならそう言うところだけど、言葉少なに「Сильно бомбят(爆撃がすごい)」と書かれると、返す言葉がない。

それがトニーとの今週最後のチャットで、その後、連絡が途絶えているのだ。

うちのチームにはトニーの他にもうひとり、オレクシーというハルキウに住む若手のエンジニアがいるが、彼もまた、子供が生まれたばかりだし、お袋は背中が痛むから遠出は難しいと言ってハルキウに残っている。

親戚はベラルーシとニューヨークにいるけど、ベラルーシには行きたくないし、ニューヨークには行けないし、どうしようもない、今日はネットもない、電気もない、世界とのつながりはスマホだけだとこちらも口数が少ない。

混雑するリヴィウ

私のいるリヴィウはポーランドとの国境に近い。

いま、国境はウクライナから出ていく人が長蛇の列を作っている。

その中には、リヴィウの人もいれば、キエフや他の地域から逃げて来た人もいる。

キエフや他の地域から逃げて来た人たちは、まずリヴィウに一時滞在し、ここで書類を確かめ、更に先に進むかどうかを決める。

リヴィウに入ってくる人、リヴィウからポーランド、更にその先に出ていく人の多くは、若い人、年齢を問わず女性、特に妊婦、そして、男女を問わずお年寄り。

家族が彼らを避難させようと躍起になっているからだ。

私の参加しているあらゆるチャットでは、一時的な滞在先情報を共有している。

うちの会社はリモートで働ける業種だし、海外にも拠点があるので、シニアやミドルのエンジニアであるトニーやオレクシーも何とか国境までくればいくらでも支援が出来るのだが、ハルキウの現状は厳しい。

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